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デリカの原点は、
600kg積のコマーシャルトラック
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デリカ発売当時のT100系トラックのカタログ |
デリカは、1968年
(昭和43年)年7月1日
に発売された。
600kg積
このクラスで初の3人乗り
KE44型エンジン
1088cc・58ps搭載
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デリカのベースとなったのは、500kg積のコルトトラック。
発売当時のデリカ(T100)の、運転席下に搭載されたエンジンは、コルト1100で実績のある、水冷直列4気筒OHV・1100ccのKE44型エンジンが搭載され、このクラス最強の58psを発生。
駆動方式はFR(後輪駆動)で、4速コラムシフトを採用し、サイドウィンドウを曲面タイプとすることにより当時、このクラスでは初となる、3人乗りを実現。
翌年、1BOXバンとワゴンを発売
デリカ(トラック)が発売された、翌年の、1969年(昭和44年)4月には、商用貨物である「デリカライトバン」「デリカルートバン」追加された。
ライトバン(T100V)は3人乗りで500kg積(6人乗車時は300kg積)。
ルートバンは、ライトバンの後部ガラスをパネル張りとしたパネルバン仕様。
同時期、デリカライトバンをベースにした、9人乗りの乗用ワゴンタイプ 「デリカコーチ」(T100C)が発売された。
※発売時期は不詳だが、1970年のカタログを見ると、発売当初の低床トラック(T100)の他に、高床トラック(T100H)が追加になっている。
2代目以降のデリカは、L系・P系・P#系ともに、商用車である4ナンバー規格一杯の全幅1690mmとなっているが、初代デリカ(T系)は、それよりも10cm以上狭い、1540mm(高床トラックは1570mm)で、車両重量も、1BOXタイプのライトバンやコーチでも、1トン未満という、軽量ボディ。
スペースギアが約2トンあるので、重量は半分ということになる。
デリカ・コーチ(T100C) 1970年
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<時代> 各社の1BOX車の発売
時代的には、高度経済成長時代にあたり、各社から、往年の1BOX車の主な車種が発売された時期でもある。 以下に、乗用車登録のワンボックス車と、そのベースとなる商用車について少々まとめてみた。
日本初のキャブオーバー1BOXカーである、マツダの「ボンゴ」(BONGO)が、1966年(昭和41年)に発売された。トラック・商用バン・乗用ワゴン(コーチ)の3車種を展開し、多目的ワンボックスの元祖となったが、リアエンジン・後輪駆動のRRだった。(発売当時の排気量はは800cc)
翌年の、1967年(昭和42年)には、トヨタの「ハイエース」(HIACE)が発売された。運転席の下にエンジンを配置し、フロントエンジン・後輪駆動のFRレイアウトとした、フルサイズの本格的なキャブオーバーワンボックスの誕生となる。
同年、ハイエースの弟分として、「ミニエース」が発売される。発売当時は、トラックとバンの2車種で、翌年の1968年(昭和43年)には乗用登録の「ミニエースコーチ」が発売された。搭載されたエンジンは800cc・空冷水平対向2気筒。
この車の後継となる、「ライトエース」(LITEACE)が1970年(昭和45年)に発売され、その中間車種となる「タウンエース」(TOWNACE)が、1976年(昭和51年)に発売された。
日産はミニエースのライバル車種として、1969年(昭和44年)に「サニー・キャブ コーチ」を発売。後に、「チェリー・キャブ コーチ」と兄弟車となる。
1978年(昭和53年)、モデルチェンジして、「サニーバネット」「チェリーバネット」となる。
同社の「キャラバン」「ホーミー」は、各社に少し出遅れた、1973年(昭和48年)に発売される。
※同社のピックアップトラック「ダットサン」をベースに、キャブオーバートラックとした「ダットサンキャブ」には、ワンボックスタイプの「ライトバン」と、乗用登録の「コーチ」が存在したようだが、資料不足で詳細不明。
いすゞの「ファーゴ」(FARGO)の発売は、1980年(昭和55年)と、国産1BOX車の中では、最も後発となる。
当時のこのクラスのライバル車であった、マツダのボンゴはリアエンジン・レイアウトで、トヨタのミニエースコーチは空冷水平対向2気筒エンジンを搭載。各社とも、小型キャブトラックと、それをベースにしたワンボックス車については、試行錯誤を繰り返し、いまだ方向性が定まらない未成熟の時期である。
しかし、デリカはその後のキャブオーバーワンボックスのスタンダードとなる基本骨格を最初から持っていたともいえる。
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デリカ(Delica) 名前の由来
「Delivary:モノを運ぶ」と、「Car:クルマ」を合わせた造語で、その名の通り、物を運ぶ車と言う意味でつけられた。 ライバル車が、1000kg積のトラックが多い中で、高度成長の日本にあって、小型で、狭い街中でも小回りがきいて、街中にとけこむ車にと言うことで作られたようだ。
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マイナーチェンジによる顔つきの変化
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前期型(T100系)
初代のT100系デリカは、1968年の発売当時は、丸目2灯で、ヘッドライト位置が高く、愛嬌のあるかわいらしい顔つきをしている。
商用トラックであるデリカが発売された翌年、デリカ・ライトバン、デリカ・ルートバン、デリカ・コーチが発売されるが、基本的には初代モデルであるトラックと同様のフロントマスクで、丸目2灯の中間部分に、DELICAのエンブレムがあり、フロントウインカーの中間に、ベンチレーターの開口部がある。
発売当初のT100は、水冷直列4気筒OHV・1100cc(正確に言うと1088cc)のKE44型エンジンが搭載され、このクラス最強の58psを発生。最高速度は115km/h。
※詳細は定かではないが、1970年に三菱重工から三菱自動車工業へと独立した当時のカタログを見ると、最高出力は62馬力となっている。
中期型 (デリカ75シリーズ)
初回のマイナーチェンジは、発売から3年後の1971年に行われて、トラック・バン・コーチともに、通称「ネプチューンエンジン」と呼ばれた、直列4気筒OHV・1400cc(正確に言うと1378cc)の4G41型エンジンが搭載され、デリカ75シリーズとなる。このエンジンは、ギャランクーペFTOにも搭載されたことで有名。最高出力は86ps、最高速度は130km/hを誇る。
それに伴い、型式は、T100からT120へと変わったが、外観の変更点はごくわずかで、エンブレムやベンチレーター部分が変わっているだけで、T100とはそれほど変化がない。
トラックでは、発売当時のT100が600kg積だったのだが、T120では、750kg積トラックに変更になっている。デリカ75シリーズという名称も、このあたりからきているようだ。
1972年のカタログを見ると、デリカ75アルミバン、デリカ75ダブルキャブ、デリカ75保冷車、デリカ75ダンプトラックがあり、ラインナップも充実している。
デリカ75シリーズは、ライトバンでもマイナーチェンジが行われたが、ライトバンは、T100の500kg積から、T120では600kg積(3人乗り)に変更になる。
デリカ75シリーズといっても、ライトバンでは、750kg積ではなく、600kg積だったようだ。
※6人乗りのライトバンは、400kg積
デリカコーチについても、同年11月にマイナーチェンジが行われ、デリカ75コーチ(T120C)となった。
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デリカ75シリーズの特装車として興味深いのは、デリカ75キャンピングバンがある。ワゴンベースではなく、ライトバンベースなのだが、ハイルーフ仕様にして、大人4名、子供1名の就寝定員をクリアしている。
この当時から、既にアウトドアブームを予感させるラインナップが、後のデリカへ受け継がれているのかもしれない。
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デリカ75コーチ(T120C) 1972年
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後期型(デリカ1400シリーズ)
1974年(昭和49年)秋には、大幅なフェイスリフトを実施し、デリカ1400シリーズとなった。
デリカ1400シリーズになると、ヘッドライトの位置とウインカーレンズの位置が、上下反対となり、丸目4灯ヘッドライトになって、イメージを一新した。
一見すると、前期型や、中期型とは、まるで違う車に見えるが、ヘッドライトの位置が下に下がったこと、運転席・助手席の窓の三角窓がなくなったことをのぞけば、ボディーのシルエットはほぼ同じなので、モデルチェンジではないことがわかる。
搭載されたエンジンは、デリカ75シリーズと同じ、1378cc、86psの4G41型ネプチューンエンジンで、型式は同じく120系のまま。
※排気量1200ccのデリカ1200シリーズが存在したとの情報もあるが、資料未確認。
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1976年(昭和51年)には、750kg積トラックの他に、ホイールベースを延長し、荷台を長くしたロングタイプの、1t積トラックが追加された。1トン積トラックの型式はT121(低床)、T121H(高床)。
※デリカ1400シリーズでは、1976年(昭和51年)に、コーチ(乗用ワゴンタイプ)のラインナップが消滅。
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デリカ1400 ライトバン(1977年)
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2代目へのフルモデルチェンジは、1979年(昭和54年)
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DELICA history(デリカ ヒストリー)
年
表 2代目デリカ(L系)
3代目デリカ(P系)
4代目デリカ(P#系)
4.5代目デリカ(SK系) 5代目デリカ(D:5)
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